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日本の電力事業をより良くする/電力事業によって日本をより良くする ために考えたこと

[読書感想文]ダンバー数と錯覚資産について

ヒマだから始めた本ブログですが、異動により完全にヒマではなくなりました。でもお盆休みはヒマです。

 

という訳で盆休み中にたまたま話題になってるのを見かけた、こちらの本の読書感想文を書きます。

 

人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている

人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている

 

 

本の感想としては、とにかく読みやすい(3時間で読了)。
で、この本のキーワードが「錯覚資産」と呼ばれるものなんですが、これは個人として、だけではなく会社としても活用するべき考え方だなぁと思いました。

※錯覚資産の定義は概ね以下の通り(正確な定義は本を読んでください)

錯覚資産=「特筆すべき実績」×「その実績を知っている人数」

 

 

会社で活用すべきと考える背景には、ダンバー数があります。

ダンバー数=人間が安定的な社会関係を維持できるとされる人数の認知的な上限

ダンバー数 - Wikipedia

 

人間が有意な関係を築ける相手の人数には上限があって、150人くらいと言われているということですね。さらに、そのような関係を維持するには社会的グルーミング(コミュニケーション)にかなりのコストを必要とするとされています。

このダンバー数という考え方は会社で働いているとかなり納得感があるものだと思っていて、組織・体制の大きさもダンバー数によって制限されるし、逆にダンバー数を無視した組織にいると露骨に業務に滞りが出ます。(筆者の場合は、三交代勤務時代に業務査定をする上司が三交代じゃない人だったので、組織の大きさの問題だけでなく関係性維持のコミュニケーションもまともに出来ず、正直茶◯(以下略))

 

では、なぜダンバー数を考慮したときに錯覚資産が重要かというと、錯覚資産がある人(一芸が認知されている人)は、ダンバー数の外でも有意な仕事を依頼する/されることが出来ると考えられるからです。

(例えばなんですが、筆者の場合は信長の野望三國志が好きなので、武将500〜600人分の名前、列伝、大まかな能力値、特技、適切な運用方法が頭に入っています。読者の皆様の場合は、スポーツ選手やAKBや2次元キャラクターかもしれませんが。スポーツであれば移籍直後の選手でも活躍できるといったところが上記の例に該当するように思います。)

 

ダンバー数を超越することによる強みは、仕事を共にする仲間の数が増えることで、実行できる仕事の幅が大きく広がることにあると思います。

そして、先述した本にはダンバー数を超越する方法の1つが書いてあります(実行するのは簡単ではなさそうですが)。で、筆者が「会社として活用することが必要」と思ったのは、電通リクルートのような会社は「各社員の武勇伝をでっち上げるシステム」を確立していると思われるからです。

例えば電通のHPを見ていると、コラムを書いてる人の中に「電通広告賞」とか「電通〇〇賞」を取っている人がたくさんいて、何だかすごくセンス/説得力がありそうに見えるんですよね。でもこれって会社を挙げてのでっち上げではないですか。

ウェブ電通報 | 広告業界動向とマーケティングのコラム・ニュース

 

こういうことを電力会社でも積極的にやっていった方が良いのではないかなぁと筆者は思います。(具体的には、例えば火原協やボイラー協会などへの寄稿を行い、それを積極的に宣伝する←宣伝が重要!、などは手っ取り早いように思います。他にも筆者の隣席には「入社二年目で8億円の工事を任されている強者」がいたりしますから、そういうのをもっとアピールできる環境があると良いですね)

会誌「火力原子力発電」 | 一般社団法人 火力原子力発電技術協会

一般社団法人日本ボイラ協会 | ボイラ研究

 

以上、本の主旨と若干ずれるかも知れないですが、本を読んだ感想でした。会社の人全員がこういう本を読んで「錯覚資産」を意識するようになったら、会社の活気/風通しがかなり良くなるような気がします。てか読んで欲しい。

原子力発電は必要か?(Ans.必要ない)

テレビなどで原子力発電所の再稼働はするべきか否か?などの議論が行われるとき、必ずと言って良いほど「震災直後に原発ゼロになったが、何とかなったではないか」という意見が出るかと思います。確かに「原発ゼロでも何とかなる」は事実なのですが、その事実に対する受け止め方が、一般の方々と電力業界の人間との間で大幅に異なっていると思われるため、この点についてまとめておこうと思います。

 

電力業界が安定供給の為に重要視している考え方に「エネルギーセキュリティ」があります。これは基本のキ、なので電力会社の人はみんな知ってますし、一般の方でも名前くらいは聞いたことがあるという方が多いのではないかと思います。

エネルギー安全保障 - Wikipedia

 

さて、ここでエネルギーセキュリティの意味をよくよく考えると、「エネルギーセキュリティ=原発は必要ない」であることが分かります。どういうことかと言うと、「原発は必要ないし、天然ガスも必要ないし、石炭も(石油も水力も太陽光も地熱も風力も)必要ない」という状態を維持するのがエネルギーセキュリティであるということです。(もっと厳密に言えば地域の分散も重要なので、「UAEの石油は必要ない、オーストラリアの石炭は必要ない、新潟の原発は必要ない、九州の太陽光は必要ない…etc 」 ということになるでしょう)

 

一般論として分かりやすいのは石油で、もし「石油が必要(石油が輸入出来なくなったら致命的に困る)」という状態になると、産油国にめっちゃ足元を見られることになるし、産油国の治安が悪くなって本当に石油が来なくなる可能性(オイルショック!)も考えなくてはいけません。そういった困った状況を避ける為、出来るだけ石油への依存度は下げておきたいということになります。

日本はエネルギー自給率が極端に低い(6%)ので、この理屈を全てのエネルギー資源に適用する必要があります。それが、先ほど述べた「原発は必要ないし、天然ガスも必要ないし、石炭も(石油も水力も太陽光も地熱も風力も)必要ない」です。

その結果として、震災前の日本のエネルギー比率(発電のみ)は石炭・天然ガス原子力が均等に割り振られていることがわかります。(水力は立地に限りがあり、石油は高コストのため、多少割合が下がる)

【エネルギー】日本の発電力の供給量割合[最新版](火力・水力・原子力・風力・地熱・太陽光等) – Sustainable Japan | 世界のサステナビリティ・ESG投資・CSR

 

これを踏まえて、件の「原発ゼロでも何とかなった」を考えてみると、電力業界にとってこれは「狙い通りの結果」であったといえますし、これまでの電力業界の安定供給への努力が実った事例だと言っても過言ではないと筆者は考えます。(更に言えば、当時は地震津波原発だけでなく太平洋沿岸の火力も相当ダメージを受けていたので、本当にすごい)

 

そして、一般の方は「原発ゼロでも何とかなったのだから原発は必要ない」と考える(これはごく自然の成り行きだと筆者も思いますが)のに対して、電力業界の人は「原発ゼロでも何とかなった。早く元どおり(原発天然ガスも石炭も石油も水力も太陽光も地熱も風力も必要ない状態)に戻したい」と考えることになります。(現在も含め、原発稼働率が極端に低下したことで化石燃料、特に天然ガスへの依存度が過剰になっていることは説明不要かと思います。具体的な割合は先ほどのリンク参照)

 

すなわち、「原発は必要ない」は正しいにも関わらず、その意味の捉え方は真逆になっているということになります。これが、電力業界の考え方が一般の方々に理解されない原因の一つ(原因はたくさんあるでしょうが…)になっているのではないかなぁと考える次第です。

 

以上の内容で全ての方に電力業界の考え方を理解して頂けるかどうかは自信がないですが、少なくとも今までの電力業界は、電力業界の理屈を一般の方々に丁寧に説明することを疎かにしてきたことは間違いありません。その結果が原発安全神話であり、また現在の電力業界への不信であると思います。従って、(筆者の説明の巧拙は傍に置いておいて、)電力業界の理屈をより分かりやすく(下手に加工したり隠したりすることなく)説明する努力は、これから更に重要になるなぁと考えています。

 

(余談)

エネルギー自給率を議論する際、「原発は準国産エネルギー」という、非常にうさん臭い文言が出てくることがあります。個人的はウランは輸入しているのに「準」国産などという呼称をでっち上げてまでアピールするのは明らかに不適切だと思います。

要するに国や電力業界が重要視している指標(KPI)はエネルギー自給率を上げることではなく、「輸入化石燃料の依存度の低下」であるということだと思います(その是非は別として)。そういうことならその通りに説明した方がまだ分かりやすいと筆者は思うのですが。読者の皆様はどう思われますでしょうか?

自己実現する賃金について

最近参加した電力系統関係の講習で、再エネの固定買い取り価格と発電コストについて紹介されていて、

 

(国名/発電コスト($/MWh)/FIT価格(¢/MWh))

ドイツ/106/8.9

フランス/124/10.6

イギリス/141/16.5

ブラジル/111/7.8

中国/109/7.8〜9.7

日本/218/22.5

※米国・豪州はFITでないため割愛

 

…と、概ね日本は買い取り価格・発電コスト共に海外の2倍であるということだそうです。

講習ではこのデータを受けて、今後どう再エネのコスト・国民への負担を引き下げるかが課題、等々の見解が示されたわけですが…。でも考えてみればこの状況は当たり前のことなのではないかなぁと思いました。

何故なら、「固定買い取り価格が海外の2倍ならば、発電コストが海外の2倍でも採算が取れる」はずだからです。

 

もう一つ同じ講義で紹介されたデータでは、2013年度にFIT価格が37円だった頃、太陽光発電導入量の2030年目標値(5300万kW)を大幅に上回る7000万kWの事業認定量(※申し込まれた量であって、実際に運開した量とは異なる。運開したのは1000万kW程度)となったということです。

これも先ほど筆者が述べた「固定買い取り価格が海外の2倍ならば、発電コストが海外の2倍でも採算が取れる」が影響しています。すなわち、「コストが海外の2倍でも良いなら太陽光やりますよ」という事業者が、政策立案者の想定より数倍多く現れたと言えます。

 

さて、この状況で日本の太陽光発電のコストを下げるにはどうすれば良いのか?答えは簡単で、FIT価格を引き下げることです。これによって、発電コストが高い事業者から淘汰され、安く発電出来る者のみが生き残ることによって、発電コストを引き下げることが可能です。もちろんFIT価格を下げれば、太陽光発電事業をやろうとする人が減少します。なのでどれくらいの量の太陽光発電を導入したいか?と、どの程度の発電コストまで許容するか?のバランスを考慮してFIT価格を決めなければいけません。ここで、認定の申し込みが殺到した当時の状況(初期のFIT価格は住宅用で42円だった)を考えると、日本のFIT価格は過剰に高かったと考えて間違いないと思われます。(そして、現にFIT価格は年々引き下げられている)

 

以上のことから言えることは2つあります。1つは「日本の太陽光発電のコストは高いが、必ずしも海外と比べて競争力が無いとは言えない」ということ。すなわちFIT価格を半分にすれば、すぐにでも日本の太陽光発電コストは半分になる(コストが半分の事業者だけが残る)と考えられます。

そしてもう1つは、「発電コストは技術力云々ではなくて固定買い取り価格によって決まる」ということです。以上のことを考えながら思い出した話があるのですが、

メディアやファイナンスという領域は、「予言が自己実現する」

 

MEDIA MAKERS―社会が動く「影響力」の正体 宣伝会議

MEDIA MAKERS―社会が動く「影響力」の正体 宣伝会議

 

 


…例えば、日経新聞が「◯◯銀行が潰れそうだ」と報道した場合、その報道が真実でなかったとしても、その報道を信じた大勢の人が◯◯銀行に殺到して預金を引き出そうとし、実際に銀行が潰れてしまうといったことが想定されます。

こうした「 事実を報道するのではなく、報道したことが事実になるという逆転性」が、「コスト(技術力)によって価格が決まるのではなく、価格によってコスト(技術力)が決まる」という現在の太陽光発電の特徴と、何となく共通点があるように感じます。

 

 

さて、(ここからタイトルを回収しにいくのですが、)賃金についても太陽光と似たようなことが言えるのではないかと筆者は考えます。つまり、「生産性が高い(高い成果を出せる)人の時給が高くなる」のではなく「高い時給が人の生産性を高くする」ということです。

これは発電所の現場では「◯◯という装置を導入すると人間の労働時間が◯◯時間削減できるのだが…」といったシチュエーションの積み重ねで実現します。すなわち労働者の時給が高い方が、生産性を高める装置への投資が促進されるわけです(アルバイトの時給上昇により自動化が進んだマクドナルドのように…【革命】日本マクドナルドが無人オーダー機を導入 / 注文は機械にお任せ → 誰とも話さずハンバーガー購入可能 | バズプラスニュース Buzz+。)

 

身近な例ではタクシーの利用が挙げられるように思います。時給が高い人は、タクシーに乗って節約出来た時間でタクシー代以上のお金を稼げるので、どんどんタクシーを利用してどんどん儲ける(高い賃金がタクシーの利用を促し、移動の生産性を高めている)ということです。格差社会ツラいですね。

 

以上より、もし会社が労働生産性をより高めたいと考えるのであれば、まず先に労働者の時給を上げることが有効なのではないかと考えます。ここで、時給≠総賃金であって、時給を上げる方法はベースアップだけではないという点は注意する必要があります。すなわち、総賃金を変えずとも、残業代を減らして代わりに基本給を上げれば良いことになります。

これの行き着いた先が、恐らく最近話題の裁量労働制(残業代ゼロ法案)ということになろうかと思います。何となく世間では過労死を増やす側面ばかり取り沙汰されている感はありますが、逆に残業代ゼロでも同じ賃金が貰えると思えば魅力的とも言えるわけですが…。(これに対する処世術は、「ここまで成果を出せばお給料分の仕事はしたはずだ!」と仕事の区切りを労働者が自分で判断できるようになることだと思います。結構、慣れないと難しそうですね…。)

 

 

さて、長くなりましたが結論としては、今の労働組合はベースアップ一辺倒の交渉しかしてませんが、そろそろ他の方法(総賃金ではなく時給を上げる方向に…)を考えるべきかなぁということです。そうすれば社員の労働生産性も上がるし、同じ人件費で社員の厚生(満足度)もより高まると思うんですが…。

お給料、上がると良いなぁ…

※関連記事春闘で会社に主張したい話〜割引率から考える現場組織のマネジメントと若年層への賃上げの必要性〜 - powerspot.hatenadiary

経済学の勉強①〜需要供給曲線と電力市場について〜

最近経済学の入門書を読んで非常に勉強になったので、その内容から特に印象に残ったものをまとめておこうと思います。今回は、最も初歩的な内容ですが、需要供給曲線です。

 

マンキュー入門経済学 (第2版)

マンキュー入門経済学 (第2版)

 

 

まず需要供給曲線とは、ある商品の価格ごとの需要量・供給量をグラフにしたものです。価格を縦軸、量を横軸に取ることにすると、一般的に価格が下がるほど需要は増加するので需要曲線は右肩下がり、価格が上がるほど供給は増加するので供給曲線は右肩上がりとなります。そして、効率的な市場では2つの曲線の交点(均衡点)の価格が市場価格、量が取引量となります。(下図) 

 f:id:watarukondou1:20180304142406p:plain

 

この需要供給曲線は、主に新しい政策や社会的インパクトのある事象(例えば気候変動)が経済にどのように影響するか分析するために用いられます。例えば、アイスクリーム市場について、今年の夏が冷夏になったらどうなるか?を考える場合、「アイスクリームの需要曲線は左(需要減少)方向にシフトするので、取引量も市場価格も下がる」ということが考えられます(下図)

 

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ここまでは説明されれば当然の内容のように思われますが、この需要供給曲線について様々な考察をしていくと、補助金・税金などの各種政策の効果をはじめ、環境汚染などの外部性の問題や、インフレーションの仕組みなど様々な経済に関わる事象がとても明快に理解出来るようになります。(詳しくは本を読んでみてください)

 

 

そういうわけで、ここでは上述した需要供給曲線を用いて電力市場について考えてみることにしたいと思います。

 

まず、電力市場について考えるとき、以下の点を特徴として踏まえておく必要があると考えられます。

①電力需要は価格が上下してもあまり変化しない(価格弾力性が低い)

②電力需要は季節・時間帯・気候などによって大幅に変化(需要曲線が左右にシフト)していく

③電力は大量には貯めておけない(在庫が持てない)ので、短期的な供給量には限度があり、それを超えるといくら価格が上がっても供給量が増えない

④電源(発電方法)によって限界費用(現状より供給量を増やすのにいくらかかるか?を示した費用。固定費は関係ない)が異なり、限界費用が低い電源(再エネ=ほぼゼロと思われる)から売れていく

 

以上の4点をまとめると下図のようになると思われます。(尚、ここではまだ固定価格買い取り制度などの政策・制度の影響は踏まえていません)

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さて、ここでケーススタディの一つとして、固定価格買い取り制度(FIT)による再エネ(太陽光発電)の増加が電力市場に及ぼす影響について考えてみたいと思います。(下図)

 

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まずはじめに言えることは、再エネが大量に導入されることになるということです。これによって供給曲線の底の部分(限界費用ゼロの領域)が増えます。尚、固定価格買い取りの料金分は、どの電源を利用しても消費者に満遍なく課金される仕組みであるため、この図には現れません(送電線の託送料金と同様)。また、再エネは気候条件により発電量が増減するため、底の大きさは時間帯によって変動します。
次に、中長期での影響ではありますが、限界費用(≒燃料費)が高い電源から徐々に減少していくと予想されます。これは再エネの増加によって発電所の利用率が低下し、採算が取れなくなってくるためですが、二酸化炭素排出や事故のリスクなど、いわゆる外部性の問題による政治的な圧力も影響があるでしょう。供給曲線としては右端の供給量の天井部分が左へシフトすることになります。

ここで、注目すべきは供給曲線の中央部分(斜めになっているところ)の傾きが大きくなっているという点です。これは供給側の価格弾力性が低くなっていることを示すものです。具体的に表現するならば、「電源の大半を占める再エネの発電量が、需要量や市場価格に関わらず天候によって決まる」という状況となります。

 

ここで、上記の変化が最終的に何をもたらすか予想したものが下図です。

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元々電力は需要の価格弾力性が低いとされていますが、ここに再エネの増加に伴って供給側の価格弾力性と低下することになると、需要曲線と供給曲線が交差しない場合が発生するのではないかと考えられます。このとき、供給が過多であれば市場価格が限りなくゼロ円に(ただし送電線料金はかかる)なります。一方、需要が過多であれば市場価格は無限大になってしまいます(あるいは停電か…)。

上に述べたのは極端な場合ではありますが、すでに部分的に、供給過多(ベースロード電源である石炭火力が減負荷・更には解列を迫られる)も需要過多(東電管内で寒波によって他地域から融通を受けたケースがありました)も生じています。

寒くて“震えた”東京電力|NHK NEWS WEB

 

ここで懸念があるのは特に需要過多となった場合で、消費者が異常な高価格を強いられたり、停電の不便を被る可能性があるわけです。市場原理が効率的に働かない原因があるとすれば、外部性と市場支配力(ごく一部の売り手が価格の決定権を握ってしまうこと)であると経済学では言われていますが、上述した供給側の価格弾力性低下が、まさに一部の発電事業者に市場支配力を与える結果となると言えます。

 

以上の検討から、今後日本の電力市場が健全な競争環境を維持するには、蓄電技術の向上(電気を貯めておければ、供給の価格弾力性を上げられる)や、火力などの調整力のある電源を一定量確保するための容量市場(発電量ではなく発電能力に料金を支払うことで、利用率が低くても固定費を回収出来るようにする)が必要なのではないかと考えられます。

(容量市場については政策立案が進められているようですが、いざ作るとなると料金負担の配分などなど詳細設計が難しいようです)

 

https://www.occto.or.jp/iinkai/youryou/

 

以上でまとめを終わりますが、上述の内容は個人的に自習して検討した内容なので、間違っていたらすみません…というか経済学が専門の方がいらっしゃったら是非詳しいことをご教授願いたい!

再エネをサッカーで例えると、投手(原子力=基幹電源について)

ちょっと前に、原子力を基幹電源とするという内容の政府方針が示され、「この状況でそれはけしからん」と世間から非難されたことがあったかと思います。

原発と電力自由化が両立するには: 日本経済新聞

 

この件について、「ベースロード電源」「ミドル電源」「ピーク電源」の違いと、なぜそのような区別が必要なのかという点について、もう少し世間の理解が進んでくれれば良いのになぁと日頃から思っていたので、それについてまとめておきたいと思います。

 

まず、前提として電気は大量に貯めておくことが出来ない(揚水発電はあるが、容量は限られている)ため、電力系統の運転にあたっては「同時同量の原則」を守ることが要求されます。すなわち、需要家が使用している電力量と同量の電力量を常に発電しなければならないということです。

 

これを踏まえて、電力供給事業をスポーツ(例えばサッカー)で例えるならば、この「同時同量の原則=需要と供給を常に一致させる」は目的(サッカーならゴールを決めて点を取る、に相当)、「電力を貯めておかない」はルール(サッカーなら手を使ってはいけない、などに相当)であると言うことが出来るのではないかと筆者は考えています。

そのような観点で見ると、先の「ベースロード電源」「ミドル電源」「ピーク電源」は、各プレイヤーに与えられたポジション(サッカーならDF、MF、FWに相当)であることが理解できるのではないかと思います。

※それぞれの概要説明については、以下のページの中盤「日本のエネルギーミックス」などを参照

これからのエネルギー [関西電力]

 

個人的には、「ベースロード電源=DF」「ミドル電源=MF」「ピーク電源=FW」なんですが、いかがでしょうか(共感して頂けなかった場合は…すみません)。ともあれ、原子力=ベースロード電源(あくまで守備位置の1つ)なのであって、原子力=基幹電源(最重要な電源)ということではないという点について、理解が広がれば、原子力発電に関する不毛な論争が少しは減るのではないか…と筆者は思っています。

 

さて、本稿の本題はここからなのですが、最近急速に増えてきている再生可能エネルギー(特に太陽光)は、上述したサッカーのポジションの例えだとどうなるでしょうか?

 

筆者は投手ではないかと思います。再エネには良い特徴もたくさんあります。発電時に二酸化炭素や大気汚染物質を出さない・燃料が不要なので限界費用が低い・国産エネルギーなのでエネルギーセキュリティ(石油などが輸入出来なくなるリスクへの対応)に貢献できる、など、「電力を発生させる装置」として見るならば非常に優秀(ダルビッシュやまーくん?)です。

 

しかし、先に説明した「同時同量」を達成するにあたっては、天候によって発電量が変化するという特徴は逆行しており、「出場するべき種目が違う」と言えます。

 (逆に「同時同量」の制約が無い場面…電力系統と繋がっていないところでの電力需要…では再エネは強い)

 

それでも、現在は二酸化炭素排出量削減などの観点から再エネの大量導入が志向されていることは事実です。それは、ハリルジャパンでダルビッシュを起用することが求められているようなもの、といえます。

ただし、上記の比喩は必ずしも「再エネは導入出来ない・するべきでは無い」ということを意味する訳ではありません。何故なら、今の技術であれば、「サッカーを、ルールやグラウンドや道具を変更して野球(あるいは野球とサッカーの中間…キックベース?)にする!」ということが十分に可能だからです。

具体的には、FIT(固定価格買取制度)のように再エネに直接ハンデを与える方法を始め、蓄電池を大量に系統へ接続する(電気を貯めておけるようにして「同時同量の原則」を打ち消す…電気自動車が普及すれば現実味が出てきます)、送電系統の運用を柔軟にするための制度づくり(特に最近検討されている「コネクト&マネージ」は興味深いです。)などの対策が挙げられます。これらが全て実現すれば、電力供給事業にとって「スポーツの種目が変わる」くらいの大きな変化になるものと考えられます。

【GEPR】具体化した「日本版コネクト&マネージ」と再エネ論壇のあり方について – アゴラ

※リングが貼れなかったんですが、「コネクトアンドマネージ」でググって経産省作成のpdfを読むのもおすすめ

 

以上でまとめは終わりですが、再エネの普及には電力会社=悪者を倒さなければならないというような単純な政治の問題ではなく、サッカーをキックベース→野球に少しずつ変更していくような、技術的かつ大規模な改革を地道に行っていく必要であることが理解されれば良いなぁと思っています。

 

また、筆者の立場としては、仮にサッカーだったものがキックベース→野球に変わった時、サッカー選手(原子力や火力)はどう生き残っていくか?についても良く良く考えていく必要があるなぁと感じています。

春闘で会社に主張したい話〜割引率から考える現場組織のマネジメントと若年層への賃上げの必要性〜

筆者が勤める会社ではここ数年ベースアップが実現していません。まぁ電力業界の現況(自由化に伴う競争環境の変化、原子力関連の事業環境の厳しさ、低炭素社会への圧力の高まりなど)を考慮すればそりゃそうだ〜という話なのですが、そんな現状が特に若年層が多く働く現場組織の運営に対して、及ぼしうる影響について考察してみたので記載しておきたいと思います。

 

まず、昨年度までの春闘における会社の見解は「長期的な収益見通しを明確に持つことが難しい状況であるため、ベースアップには応じられない」といったものです。(どの会社でもベースアップを拒否するなら同じような文言が出るのではないかと思います)

 

ここで、上記のような状況は、会計用語でいうところの「割引率が上がっている」状況と言えるのではないかと思います。

割引現在価値 - Wikipedia

割引率を考慮すると、若年層になればなるほど年功序列賃金の現在価値(会社との雇用契約の現在価値)は減少します。

換言すれば、「今の上司は良いお給料を貰っているが、自分は将来そうならないのでは?というリスクが増している」という状況であると言えます。

 

ところで、上述の内容は、特に若年層が働く最前線の現場のマネジメントに大きな障害となりうるのではないかと筆者は考えています。

 

既に年功序列賃金のほとんどを受け取り済みである管理職層は会社に対する一定の恩義を感じている(会社との雇用契約の現在価値を高く見積もっている)と思われます。

それに対し、同じ賃金体系であるはずの若年層(筆者も)は、上述の通り、「会社との雇用契約の現在価値をかなり低く見積もっている」、すなわち会社に対して恩義を感じていないと考えられます。

 

人間誰しも「給料分の仕事はやろう」という、「責任感による仕事へのモチベーション」を持っているし、同僚・部下にもある程度期待しているものだと思います。ここで、「会社との雇用契約の現在価値の認識に関して、管理職層と若年層との間にギャップがある」という事実は、その期待が裏切られる結果につながります。

すなわち、「若い人たちがあまり頑張ってくれない」と管理職の人が感じたとき、上記の背景を理解していないと若年層の考えが分からず、「最近の若いモンは」と言うしかなくなる(若年層を頑張らせるための打ち手が思いつかない)というリスクがあるのではないかと筆者は考えます。

 

…というわけで、今回の春闘にあたり、組合に向けて上のような意見(と、具体的な要求として若年層への手厚い賃上げなど)を出してみたいと思います。

お給料、上がると良いなぁ…。

 

(尚、この話に関する根本的な対応策は、同一労働同一賃金年功序列賃金の撤廃)や、一社ではどうにもなりませんが雇用の流動性向上(解雇規制の撤廃)であるような気がするのですが、そこまで会社に主張する勇気はなかった…)

 

【追記】

半年ほど前に、副社長へ上記の主張を踏まえ、「ベースアップしたください!」と言ってみたことがあります。その時の回答は、

 

・ベースアップする為には、株主が納得出来るように、同時に配当金を上げる方策を考えている

・そのためには、利益を上げる必要がある

⚫︎会社の利益上昇がベースアップに繋がって行くので、知恵を出しながら貢献して欲しい!

 

といったものでした。至極真っ当な回答だなと思いました(笑)。もちろん、具体的にどの程度の利益が必要で、それをどう稼ぐか詰めていく必要はありますが

最近個人的に思うのは、労働組合春闘のやり方は要求一辺倒な感があって、もう少し、「より高い労働生産性で会社の利益(ベースアップの原資)を稼ぐにはどうするか?」について主体的に考えていった方が良いのかなぁと…あまり会社に迎合するのも良くないので簡単ではないですが。

戦艦大和とイノベーションのジレンマについて

最近、呉市大和ミュージアムに行く機会があったのですが、そこで印象に残る展示がありました。

『敗れて目覚めよ』

臼淵磐 - Wikipedia

「進歩のない者は決して勝たない 負けて目覚める事が最上の道だ 日本は進歩という事を軽んじ過ぎた 私的な潔癖や徳義に拘って、本当の進歩を忘れてきた 敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか 今目覚めずしていつ救われるか 俺達はその先導になるのだ。 日本の新生に先駆けて散る。まさに本望じゃあないか」

これは天一号作戦(戦艦大和が撃沈された戦い)の直前に大和の乗組員が言った言葉とされています(創作との説もあるとのこと)。

 

確かにこれは日本が敗戦する直前(あるいは直後)に生まれた言葉ではあるのですが、世界一のスペックを持っていたはずの戦艦大和の乗組員が、なぜ『進歩という事を軽んじすぎた』とまで言うことになったのか、とても気になりました。

 

そして、筆者は以下の2冊の本を読んでその理由を察しました。

 

大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇 (文春文庫)

大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇 (文春文庫)

 

 

 

イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press)

イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press)

 

 

 

 

 (どちらも全てのサラリーマンが読むべき本と言って良いほど、勉強になる本です)

 

大本営参謀』には日本が第二次世界大戦で負けた理由がたくさん書いてあります(とても勉強になるので是非本を読んで欲しい)が、そのうち代表的なものが

 海軍の大艦巨砲主義、陸軍の歩兵主兵主義は、どちらが、どちらを非難すべきものでもない。陸軍も海軍も日露戦争時代で足踏みしていた前時代的軍事思想の持主であった。

日本人、いや日本大本営作戦当事者たちの観念的思考は、数字に立脚した米軍の科学的思想の前に、戦う前から敗れていた。

(中略…日本陸軍の戦術的な強さについて…)

しょせん戦略の失敗を戦術や戦闘でひっくり返すことは出来なかったということである。

この際の戦略とは、太平洋という戦場の特性を情報の視点から究明し、もう十年以上も前に「軍の主兵は航空なり」に転換し、「鉄量には鉄量をもってする」とする戦略である。

 当時の日本の陸軍(歩兵)・海軍(艦隊)は相当に強かったとされていますが、米軍は『制空権を確保する』という、日本軍とは土俵の異なる戦いを展開しました。制空権を敵に取られると、最前線への補給がままならず、また作戦立案に必要な情報収集にも甚大な制約となってしまいます。結果、最前線にいた精強な日本兵たちは、まともに戦うことなく玉砕または飢餓や疫病に苦しむこととなりました。

 

他にも重要な敗因があることは承知の上で、ここでは筆者は『日本軍はイノベーションのジレンマに陥った』のではないかと考えます。

イノベーションのジレンマとは、

『偉大な企業は全てを正しく行うが故に失敗する』

という、一見矛盾しているかのような現象のことで、本書ではこのイノベーションのジレンマについて、事例分析によって明らかにしています。

尚、イノベーションのジレンマが発生する背景・理由には様々ありますが、特に重要な点は、『イノベーションを引き起こす「破壊的技術」は、少なくとも短期的には、製品の性能を「引き下げる」効果をもつ』ということ(そして、そのような破壊的技術が、既存の技術を死に追いやる)です。(詳細は本書を読んで頂きたいと思います。非常におすすめの本です)

 

さて、筆者はなぜ『日本軍はイノベーションのジレンマに陥った』と考えるかというと、おそらく空軍の強化・維持は費用の割に軍全体の戦闘力強化の度合いが小さい=コスパが悪い兵科であると思われるからです。

戦闘機の維持のためには、高い技能を持った乗組員・高い技術を擁した機体(高度・速度・旋回性能などが優っていないと戦闘には勝てないので、絶えず技術更新が必要)・飛行に使う燃料、が必要になります。

よって、資源・資金に限りのある日本軍は、結果的に少ない資源・資金で効果的に軍の戦闘力を高められる陸海軍(特に歩兵)を増やすことに注力することになったのではないかと想像します。

一方で、周知の通り圧倒的な物量を持つ米軍は、物量がなければ維持できない制空権を抑え、日本の精強な陸海軍を無力化していきました。(戦艦大和が撃沈した戦いの経緯を見ると、制空権を奪われた戦場において、世界最強の戦艦である大和が「ただの大きな的」になってしまっていたのがよく分かります。まぁ、後から振り返れば、そのような圧倒的な国力の差があるならばそもそも戦争なんてするなよということになるかとも思いますが)

 

以上が最近筆者が感じた「戦艦大和イノベーションのジレンマの話」です。結局、「進歩という事を軽んじすぎた」の「進歩」については「新しい考え方や技術を積極的に受け入れる姿勢」「戦いの本質を様々な切り口で考える柔軟性と探究心」というようなことになるかと思います。

 

イノベーションのジレンマは、日本では特に陥りがちなパターンであって、非常に重要な視点だなぁと感じています。

日本は現場が強く、また一途で職人気質な面があるので、イノベーションのジレンマを回避するための、トップダウンで行う大規模な方針転換が難しいのではないか(本では日本に限らず難しいと書いてますが)と思います。

 

電力業界においては、再生可能エネルギーが正にイノベーションのジレンマを引き起こす「破壊的技術」となる可能性があるため、細心の注意を払って対応を考えていかなければならないと考えます。(現状では発電出力が安定しないという致命的欠陥があるが、EVの普及などによって電気が容易に貯めておけるようになれば、却って火力・原子力の方が環境への悪影響が大きいだけの電源になりかねない)

 

したがって、筆者は今後は「新しい考え方や技術を積極的に受け入れる姿勢」「戦いの本質を様々な切り口で考える柔軟性と探究心」を持って仕事に取り組むよう心がけたいと思っていますので、是非皆さまとも継続的に様々な議論を通じて研鑽していきたいと思っております。