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日本の電力事業をより良くする/電力事業によって日本をより良くする ために考えたこと

再エネをサッカーで例えると、投手(原子力=基幹電源について)

ちょっと前に、原子力を基幹電源とするという内容の政府方針が示され、「この状況でそれはけしからん」と世間から非難されたことがあったかと思います。

原発と電力自由化が両立するには: 日本経済新聞

 

この件について、「ベースロード電源」「ミドル電源」「ピーク電源」の違いと、なぜそのような区別が必要なのかという点について、もう少し世間の理解が進んでくれれば良いのになぁと日頃から思っていたので、それについてまとめておきたいと思います。

 

まず、前提として電気は大量に貯めておくことが出来ない(揚水発電はあるが、容量は限られている)ため、電力系統の運転にあたっては「同時同量の原則」を守ることが要求されます。すなわち、需要家が使用している電力量と同量の電力量を常に発電しなければならないということです。

 

これを踏まえて、電力供給事業をスポーツ(例えばサッカー)で例えるならば、この「同時同量の原則=需要と供給を常に一致させる」は目的(サッカーならゴールを決めて点を取る、に相当)、「電力を貯めておかない」はルール(サッカーなら手を使ってはいけない、などに相当)であると言うことが出来るのではないかと筆者は考えています。

そのような観点で見ると、先の「ベースロード電源」「ミドル電源」「ピーク電源」は、各プレイヤーに与えられたポジション(サッカーならDF、MF、FWに相当)であることが理解できるのではないかと思います。

※それぞれの概要説明については、以下のページの中盤「日本のエネルギーミックス」などを参照

これからのエネルギー [関西電力]

 

個人的には、「ベースロード電源=DF」「ミドル電源=MF」「ピーク電源=FW」なんですが、いかがでしょうか(共感して頂けなかった場合は…すみません)。ともあれ、原子力=ベースロード電源(あくまで守備位置の1つ)なのであって、原子力=基幹電源(最重要な電源)ということではないという点について、理解が広がれば、原子力発電に関する不毛な論争が少しは減るのではないか…と筆者は思っています。

 

さて、本稿の本題はここからなのですが、最近急速に増えてきている再生可能エネルギー(特に太陽光)は、上述したサッカーのポジションの例えだとどうなるでしょうか?

 

筆者は投手ではないかと思います。再エネには良い特徴もたくさんあります。発電時に二酸化炭素や大気汚染物質を出さない・燃料が不要なので限界費用が低い・国産エネルギーなのでエネルギーセキュリティ(石油などが輸入出来なくなるリスクへの対応)に貢献できる、など、「電力を発生させる装置」として見るならば非常に優秀(ダルビッシュやまーくん?)です。

 

しかし、先に説明した「同時同量」を達成するにあたっては、天候によって発電量が変化するという特徴は逆行しており、「出場するべき種目が違う」と言えます。

 (逆に「同時同量」の制約が無い場面…電力系統と繋がっていないところでの電力需要…では再エネは強い)

 

それでも、現在は二酸化炭素排出量削減などの観点から再エネの大量導入が志向されていることは事実です。それは、ハリルジャパンでダルビッシュを起用することが求められているようなもの、といえます。

ただし、上記の比喩は必ずしも「再エネは導入出来ない・するべきでは無い」ということを意味する訳ではありません。何故なら、今の技術であれば、「サッカーを、ルールやグラウンドや道具を変更して野球(あるいは野球とサッカーの中間…キックベース?)にする!」ということが十分に可能だからです。

具体的には、FIT(固定価格買取制度)のように再エネに直接ハンデを与える方法を始め、蓄電池を大量に系統へ接続する(電気を貯めておけるようにして「同時同量の原則」を打ち消す…電気自動車が普及すれば現実味が出てきます)、送電系統の運用を柔軟にするための制度づくり(特に最近検討されている「コネクト&マネージ」は興味深いです。)などの対策が挙げられます。これらが全て実現すれば、電力供給事業にとって「スポーツの種目が変わる」くらいの大きな変化になるものと考えられます。

【GEPR】具体化した「日本版コネクト&マネージ」と再エネ論壇のあり方について – アゴラ

※リングが貼れなかったんですが、「コネクトアンドマネージ」でググって経産省作成のpdfを読むのもおすすめ

 

以上でまとめは終わりですが、再エネの普及には電力会社=悪者を倒さなければならないというような単純な政治の問題ではなく、サッカーをキックベース→野球に少しずつ変更していくような、技術的かつ大規模な改革を地道に行っていく必要であることが理解されれば良いなぁと思っています。

 

また、筆者の立場としては、仮にサッカーだったものがキックベース→野球に変わった時、サッカー選手(原子力や火力)はどう生き残っていくか?についても良く良く考えていく必要があるなぁと感じています。