インフラ事業は文明を興すためにある
筆者は学者ではないので表題が学術的に真であるかどうかという点にこだわりはありません。
ただ、表題は筆者の、電力事業に携わる者としての志向・主義を示すものであります。
たとえば、四大文明と呼ばれる世界最古級の文明が生まれたのは全て大河の沿岸でした(例:エジプト文明&ナイル川)。
これは単なる偶然ではなく、大河が生活用水、農業用水、下水、輸送・交通路などといった、人々の文化的な生活を支える「自然のインフラ」であったからではないかと考えられます。
このことはインフラの意義を考えるうえで重要な点を示唆しています。
それは、インフラがあるところに文明が発生するということです(文明が先ではない)。
すなわち、未開の地には始めにインフラが開発され、そのインフラが多くの人を惹きつけ、技術が集まり、文化が生まれ、そして文明に至る。
インフラは文明の基礎であると同時に起源でもあると言えます。
こうした文明の起源たるインフラのことを筆者は「大河型インフラ」と呼ぶことにしたいと思います。
この大河型インフラには以下のような特性があると考えられます。
①利便性が高いが故にインフラの周囲に人が集まること
②人が集まることで、新しい技術やサービスが集まる(スケールしやすくなる)こと
③インフラやそれに集まってきた新技術やサービスによって、生活の(量的ではなく)質的な向上があること
上記の要件に当てはまるインフラとしては、明治~高度経済成長期までの電力、20年前のインターネット、現在ではLINE、将来的な可能性としては仮想通貨などが挙げられるように思います。
また、「大河型インフラ」の対となる概念として「大気型インフラ」も定義しておきたいと思います。
大気は、人間が生きる為に必要であるにもかかわらず、新たな文明を興すような力はありません。
これは、大河が限られた領域に存在する(供給域が十分ではない)のに対して、大気は地球上のほぼ全ての領域に潤沢に供給されている(供給が十分、あるいは過多である)ことに起因します。
生きる為に必須の要素が、ある特定の場所にのみ存在するとすれば、そこに人々が集結するのは自明です。
(当然、この理屈は地球上でのみ成り立つ話であって、月などの宇宙空間に地球と同じような大気が仮にあるとすれば、それは宇宙空間に新たな文明を興す起点とするのに十分すぎるほどの存在となるでしょう。このように、インフラの意義は極めて相対的・可変的なものであると筆者は考えます。)
日本における電力事業は、高度経済成長期までは「大河型インフラ」と呼んでも差支えないものであった(安定した電力供給は高度経済成長の為の数多くある必要条件の一つであった)と筆者は確信しております。
しかしながら、現在の日本の電力事業は果たして文明の起源となれているでしょうか?社会の進歩に貢献できているのでしょうか?何となく、社会からは電力供給はあって当たり前の「空気のような存在」になっていて、それ以上のものを期待されていないような気がします。
また我々電力事業者も、電力の安定供給という「偉大な現状維持」に満足してしまっているのではないか?という気がします。
以上のことから、筆者は電力事業に携わる者として、そしてそれ以前にインフラ事業に携わる者として、「偉大な現状維持」よりも「卑小な進歩」を志向し、電力事業を通じて少しでも世の中が現状よりも良くなる方法について考えていきたい(そして、いずれそれを実行したい)と思っています。