『正しい』の意味とは(朝日新聞の件を見て考えたこと)
筆者はそこまで新聞を読む方ではないのですが、朝日新聞の「エビデンス?ねーよそんなもん」の件
(エビデンス? ねーよそんなもん:日刊ゲンダイの朝日新聞・高橋純子氏インタビューに戦慄が走るTL【日刊アサヒ】 - Togetter)
を見て(エビデンス〜のくだりは、実際には記事の中身のことを言っているのではないようですが)、新聞について日頃何となく考えていたことがあったのを思い出しました。
新聞が、読者にとって価値のある情報源であるためには、『書いてある情報が信用できる』ことが最も重要なことではないかと思います。
すなわち、新聞社・記者にとって最も重視すべき信条は『正しい』ということなのだろうと思います。
(電力業界では、安定供給です。そういった何か「絶対に譲れない」みたいなものはどの業界にもあるかと思います)
ここで、筆者が持っていた『正しい』の定義と、新聞社が持っている『正しい』の定義が、何となくずれている(ずれてきている?)と感じることが最近多くなってきました。
それは、『正しい=正確・事実』と、『正しい=正義』の違いです。
簡単な例をあげるならば、容量が200mlのコップに100mlの水が入っているとき
「容量が200mlのコップに100mlの水が入っている」
と、ありのまま表現するか、
「100ml 『も』 水が入っている」
「100ml 『しか』 水が入っていない」
と表現するか。
後者は、確かに事実ではありますが、『も』とか『しか』を入れることによって読者に特定の印象を与えています。
これは、例えば「容量が200mlのコップには200mlの水が入っている『べき』」というような、暗黙の基準(=正義)があるから出てくる表現ではないかと思います。
新聞社の方々は、ひょっとしたら読者に正確な情報を伝えることとは別に、『正義に導きたい=啓蒙』のような動機を持っているのかもしれません。
しかしながら、筆者としては「正義を判断するのは読者、新聞はその判断するためのエビデンス(=事実)を提供する」というスタンスの方が、良心的であるように思います。
もちろん、「コップに100ml 『しか』 水が入っていない」という程度の表現であれば、事実の範囲を逸脱してないですし、新聞社ごとの個性と言えなくもないです。
しかし、これが度を過ぎて「正義ならばエビデンスなんてどうでも良い」とか「判断するために必要な、明らかに重要な情報をあえて伝えない」などということになると、社会にとってむしろ悪影響があるのではないかと考えます。
(…などと考えていたら、ドラッカーのマネジメントに、筆者が言わんとすることがそのまま書いてありました。
「知りながら害をなすな」
医師、弁護士、組織のマネジメントのいずれであろうと、顧客に対し、必ずよい結果をもたらすと保証することはできない。最善を尽くすことしかできない。しかし、知りながら害をなすことはしないとの約束はしなければならない。
顧客となる者は、プロたる者は知りながら害をなすことはないと信じられなければならない。これを信じられなければ何も信じられない。
ドラッカー「マネジメント 上」より
- 作者: P.F.ドラッカー,上田惇生
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2008/12/12
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…これはむしろ、電力業界こそ肝に銘じるべき内容ですね)
…以上の論点は、特に電力業界は「正義の鉄槌を下される側」なので、引き続き社会の動向を観察しつつ、検討をしていきたいと思います。
(放射能汚染の風評被害の話とか、再生可能エネルギーの送電線への接続の問題とか、別に事実を伝えたからといって「電力会社=悪」に加担することになる訳じゃないんだから、しっかり事実は事実として伝えていって欲しいなぁと他力本願ながら思います。
当然、電力事業者の方がやるべき事はたくさんある訳ですが。)